Column
がん治療の第一線で活躍される医療機関・医師のみなさまや教育現場の方、
またがんと闘う患者さんたちのメッセージ
Motoo Yoshiharu
|金沢医科大学 名誉教授 元雄良治
Yamamoto Etsuhide
|金沢大学名誉教授 / 城南歯科医院理事長
山本悦秀
告知
倦怠感の極み、旅行先の韓国から決死の帰国
オストメイト
還暦年1月の中旬から体調不良に
オストメイト
ホノルルマラソン感動のゴール、しかし・・
大腸がん
大腸がんでストーマ保有者「走って書いて講演」
Matsui Yuko
|公立小松大学 教授 松井優子
Takatori Hajime
|金沢大学附属病院 光学医療診療部 部長・准教授 鷹取元
Kato Daisuke
|市立砺波総合病院 緩和ケア科 部長
加登大介
Cancer survivor
SNSで、ご自身の闘病経験を公表していらっしゃる
がんファイターの方々の、様々な質問、コラムを掲載しています。
Cancer survivor Q&A
|がんサバイバーQ&A
ももかママ
@kkm_1823
ももかママ
@kkm_1823
娘たちのために絶対生きてやる!という想いだけで辛い治療に耐えてきました。
こんにちは。 2020年8月、ステージ1の乳がん告知を受けた2人の娘のママです。 サブタイプはトリプルネガティブ。 20代の頃からなぜか「私、将来乳がんになるかも…」と予感していて20代後半から毎年欠かさずがん検診を受けて来ました。 2020年7月、がん検診のマンモグラフィで左乳房が要精密検査となり、以前から何かあった時にと調べていた医院に受診。エコーで左乳房には異常認めず、引っ掛からなかった右乳房に7ミリのしこりを発見。 先生は「多分大丈夫だと思うけど、また半年後に見せに来るか、今調べるかどうする?」と仰いましたが、白黒ハッキリしたい私はそのまま生検をしてもらいました。 私の選択は正しかったです。このしこりが乳がんでした。 ステージ1での発見は不幸中の幸いでした。 今も治療の後遺症と戦いながら生活しています。
まな
@mana.hina.reina.aina
まな
@mana.hina.reina.aina
3姉妹ママ、子育て中の闘病生活 ~BRCA1~
セルフチェックでしこりを発見し近くの乳腺クリニックを受診。マンモと超音波では分からず、先生も針生検するまでもないかな‥たぶん大丈夫だけど、癌じゃないと言い切れないからMRIが出来る病院を紹介してもらう。 大学病院でも超音波でたぶん大丈夫と言われたが、MRIでははっきりせず、針生検をし癌が発覚し、手術までホルモン療法をしながら待ちました。 その間に遺伝子検査をし、BRCA1であることが分かる。 右乳房全摘、リンパ節切除、手術をしホルモン療法再開中です。 傷口が落ち着いたら、再発予防の為に抗がん剤、放射線を行い、BRCAの予防切除を行う予定です。 3歳の双子+6歳の姉の時に発覚しました。周りに同じ境遇の人はなかなかいないので、子育て中のママさん達の希望や励みになれるように経験したことを発信していきたいと思っています。
Aco
@aco_kosodate
Aco
@aco_kosodate
胃がんステージⅣでもママできます
夫とは出会って3ヶ月でプロポーズ その1週間後に妊娠発覚 産後2ヶ月で胃がん宣告 バタバタの人生を爆走中! 自身が大病を患い 初めて闘病ママが沢山いらっしゃる事を知り 37歳、生まれ変わったつもりで 闘病ママの談話室開設を計画しています。
conbriokan
@conbriokan
conbriokan
@conbriokan
26歳で一度目のガン。さらに53歳で二度目のガン告知。 「笑う門には福来る」今回も笑って乗り越えてみせる。
1994年、妊娠6か月の時に悪性リンパ腫の告知を受けました。帝王切開で出産したのち、化学療法、放射線治療、自家移植を経て退院。その後無治療で元気に生活し、治癒したと言われていました。 ところが2022年1月、入浴中左乳房にしこりを発見。左乳房浸潤性乳管癌と告知され、28年ぶりに再びガン患者になりました。人生2度目のガンにショックは大きかったけれど、がんサバイバーとして今まで生きてきた自分を信じ、今回も乗り越えたいと思っています。 ガン治療をしている人に、フッと笑ってもらえるような発信をしていきたいです。
はづき
@himawari_ka_san
はづき
@himawari_ka_san
2度の癌。何度でも立ち上がる母ちゃん
32歳の時に子宮頸がん罹患。手術後、7年の経過観察を経て寛解。その後、夫の仕事の関係で中国・広州駐在。 本帰国後、46歳で乳がんが発覚。手術・抗がん剤・放射線治療を経て現在はホルモン療法中です。 癌になったという事実は一つですが、その解釈はいかようにでも取れます。 解釈が異なれば前向きにも後ろ向きにもなれる。 誰しも命には期限があり、死なない人間はいません。 その生をいかに生きるか 癌になったことで〈出来なくなった〉〈失った〉 で終わるのではなく 〈新たな道を模索する〉〈新たな自分を見つけてやる〉 たとえ何度がんになろうとも明るく元気に生きている人間がいるという事を知っていただけたら嬉しいです。
はたけやまりょうた
はたけやまりょうた
「まさか自分は。」から「まさか自分が。」
息子も娘もまだまだ小さいしパパも仕事頑張るぞ!そんな当たり前と思っていた生活が一瞬で当たり前では無くなりました。 ステージ4、抗がん剤も手術も既に出来ない状態。でも今は元気に生きてます。 息子は春にはピッカピカのランドセルでキラキラの一年生です。 心の弱っている人、病気がテレビや映画の中の話だと思ってる人、大切な人がいる人、どこかの誰かの人生の、何か小さな気付きのきっかけなれればと思います。
吉岡紀子
@w_four_leaf_clover
吉岡紀子
@w_four_leaf_clover
10件のセカンドオピニオンの果てに見つけた答えは聞いた事もない名前の希少ガンだった。 告知の時に溢れた嬉し涙。 自分を信じ、探し続けた私の壮絶な3年間。
34歳の冬。 ある日突然身体中に現れだした様々な謎の症状。 一瞬にして200超えするホルモン異常生産による高血圧発作。 どんな検査をしても数値に残らず、一瞬にして消えていく発作と闘った3年間。 37歳で10件目のセカンドオピニオンで倒れた先で見つかった副腎腫瘍の褐色細胞腫。 聞いた事もない病名を告知され溢れた涙は嬉し涙でした。 主治医から告知の時に掛けられた言葉は今でも忘れません。 【理解する事で救われる心がある】 闘病後に同じ病気の患者さんやご家族の心に寄り添う活動(SNS患者会)を始めました。 私の闘病記をご覧いただき、褐色細胞腫という病気の不思議を知って頂き、この病気を認知し早期発見に繋げられると嬉しいです。
井出久日子
@kuniko_novantadue92
井出久日子
@kuniko_novantadue92
乳がんステージ4からの復活劇
38歳の時に体外受精の最中、乳がんが発覚。骨にまで転移しておりステージ4と宣告をされる。 昨年末に6年半の抗がん剤治療を終え、現在は内服薬治療中です。 私はがんと闘うのではなくがんと向き合い共存するという選択をしました。 明日死んでもいいように一日一日を後悔しないように過ごす。 誰でも人生にはタイムリミットがあります。どれだけ生きるかよりどう生きるか。 がんが私に教えてくれました。そのような気持ちでいることで心が楽になり 病状も快方に向かいました。私は自分の経験を通し、今闘病されている皆さんに 希望や励みになるメッセージを発信していきたいと思っております。
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