2004年の59歳当時、市民マラソンにはハーフマラソンを中心に、月3回ほどのペースで参加していました。最初の異変は2月の法隆寺ハーフマラソンでした。出走後3キロ地点を走行中に、道路工事中の上に仮置きされた鉄板のわずか1㎝ほどの段差につまずき、初めて転倒したのです。これがこの年のマラソン不調の初発となり、前年の同一レースに続いて出場した16レースでは完走した14レースの全てで前年の記録に及ばず、残りの2レースは初の途中リタイアという惨憺たる結果でした。それでもその原因を単なる慢性疲労と思い、それ以上深く考えたことはありませんでした。
そして第2の予兆は2度の嘔吐でした。最初は8月で野沢菜を肴に焼酎のお湯割りを楽しんだ後、そして2回目の11月は元気回復にと牛乳をコップ3杯飲んだ後、共に数時間後に激しく嘔吐したのです。どうして?→あとから考えると、がん性腸管狭窄部の一過性閉塞による嘔吐と推察されますが、その後にとった私の行動は受診とは真逆の方向でした。すなわち、こんなに体力が衰えては、夢であったホノルルマラソンを6年後の定年まで待ってはいられないと考え、その年末に参加したのでした・・。