また皆様にお会いするきっかけを頂き、感謝いたします。
今回は私の乳がん闘病生活の始まりについてお話したいと思います。
私には3人のこどもがおりまして、現在小学二年生・4歳・2歳です。
乳がんだと検査し告知されたのは3番目の子が生まれた1ヶ月後です。
ですが、実は2番目の子の時にすでにしこりはあり、なんども先生に訴えましたが当時24歳の私がまさか乳がんなはずがないと思ったのか、乳腺炎の診断を受け続け、それでも違和感を持った私は近所の乳腺科に電話して話しをきいてもらいましたが、妊娠しているなら出来ることはありません。と言われてしまいました。
その間にも赤く腫れていくズキズキと痛む胸。
ようやっと、産科の先生に市立の大きな病院に紹介状をかいてもらえました。
外科でした。
当日にエコーをかけてもらい、局所麻酔で膿ですね、と言われほぼ効かない麻酔の中で膿をすいだしてもらいました。
ここで普通は病理検査等あるのかとおもったのですがらきずを塗って終了でした。
わたしもまだまだ知識が浅く、しこりも赤みもなくなった、これでようやくおわったんだぁと、泣きながら帰路につきました。
そして無事に生まれた2番目の子。
普通に授乳もしていましたが、なにか影響はないのか、医者に聞いても大丈夫だよといわれましたが、今でもちょっぴり不安です。
その後は幸せに暮らし、1年後に3番目の子を授かった際に初期からまた同じ場所にしこりができたのです。
これも、また乳腺炎と言われどんどん大きくなるしこり。
どんなに訴えても乳腺炎としか言われず……
出産の際に付き添ってくれた助産師さんがようやくしっかりとみてくれ、こんなの乳腺炎なわけない!とバタバタと大事になり、ようやく小さいけれどとても有名なお医者がいる病院へ、退院した当日にその足で病院へ向かうのです。
そこの理事長には私の胸をみるなりこう言われました。
あなたね、妊娠してても、もっとはやくきてほしかった。そしたらもっと早く救ってあげられたのに……。でも大丈夫、大丈夫。
まずは検査をどんどん進めていこう。
1番に検査入れてってあげるからね。と。
その言葉を聞いた時初めて自分が危ない状況だと気づいたのです。
ずっと違和感はあったのに。
自分なりに行動してきたつもりだったけど、
足りなかった。
だから皆さんに自分の違和感を第1に、行動して欲しいのです。
それが自分を救います。
自分の違和感は絶対に合っています。
不安でも!勇気をだして1歩を踏み出してください。
私のように不安で泣く日々を過ごして欲しくない。
これからゆっくりこれからどう病気と共存していくかお話しできたら嬉しいです。
最後までお読み下さりありがとうございます。