窒息寸前で大学病院へ搬送された身寄りのない女性の話です。検査でがんが原因と判明し、気管切開で一命は取りとめたものの声を奪われました。骨への転移のために身動きもとれず、私のいた緩和ケア病棟に来られました。痛みは薬で抑えられましたが筆談もままならない状態で、症状や希望はよく分かりません。スタッフが丁寧にお世話しますが顔をしかめることもあり、痛いのか、吐き気がするのか、試行錯誤のケアが続きました。
悩むスタッフがある日『本人の希望を聞こう』と言いました。喉に入れる管には声の出やすいものもあるのですが、苦しくなるので使っていません。本人の了解も得られたので、翌日に短時間だけ交換することになりました。当日、管を換え患者さんが何と言うか耳を澄ませました。すると『あ・り・が・と・う』と一言。痛い?苦しい?誰かに会いたい?何してほしい?集まったスタッフが尋ねますが、患者さんは首を振りもう一度『あ・り・が・と・う』私たちが聞いた最初で最後の声でした。
自分ならこの状況でなんと言えるだろうか。この方の人格に心を打たれたのと同時に、この瞬間に繋がるケアを施してくれたスタッフみなに今でも感謝しています。『ありがとう』