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がんサバイバー Q&A

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10件のセカンドオピニオンの果てに見つけた答えは聞いた事もない名前の希少ガンだった。 告知の時に溢れた嬉し涙。 自分を信じ、探し続けた私の壮絶な3年間。

吉岡紀子 Instagram : @w_four_leaf_clover

がんサバイバー

褐色細胞腫

34歳の冬。 ある日突然身体中に現れだした様々な謎の症状。 一瞬にして200超えするホルモン異常生産による高血圧発作。 どんな検査をしても数値に残らず、一瞬にして消えていく発作と闘った3年間。 37歳で10件目のセカンドオピニオンで倒れた先で見つかった副腎腫瘍の褐色細胞腫。 聞いた事もない病名を告知され溢れた涙は嬉し涙でした。 主治医から告知の時に掛けられた言葉は今でも忘れません。 【理解する事で救われる心がある】 闘病後に同じ病気の患者さんやご家族の心に寄り添う活動(SNS患者会)を始めました。 私の闘病記をご覧いただき、褐色細胞腫という病気の不思議を知って頂き、この病気を認知し早期発見に繋げられると嬉しいです。

Q1. がんの種類とステージ、現在の状態について教えてください。

A.

褐色細胞種(副腎腫瘍) 希少がん、経過観察中(生涯経過観察)です。

Q2. 受診したきっかけを教えてください。

A.

ある日突然、息もできないような強烈な頭痛に悩まされるようになり、そこから動悸、視野欠損、手の震え、多汗など身体中に症状が現れ出した為。

Q3. がんが分かった時の心境の変化やご家族の反応を教えてください。

A.

セカンドオピニオンを繰り返し、 最後の病院で初診から1週間で日常的にあった240越えの高血圧発作に心臓が耐え切れずに心不全で倒れました。
全身CTで左副腎に5cmの褐色細胞腫発見。
主治医も初めて見る副腎腫瘍。

緊急入院した当日の夜、当直だった主治医に告知を受けました。
ショックで高血圧発作が起きないように慎重に話す主治医。
聞いた事もない病名でしたが、腫瘍と聞いても全く動揺せず。
『今までの症状の全ての原因はこの腫瘍です』と言われた瞬間、嬉しくて涙が溢れて止まりませんでした。

私にとってこの聞いた事もない病気や身体の中に腫瘍があって、この先自分がどうなっていくのかなんて事より、ずっと原因不明と言われ続けても探し続けた苦しさの原因が分かった事の方が何倍も嬉しかった。
諦めなければ奇跡って起こるんだなって思いました。

あの時主治医がくれた『あなたが探し続けたから。だからボクも見つける事が出来た。あなたが頑張ったからですよ』という言葉は一生忘れません。

やっと理解してもらえた。伝わった。
今までの医師達にはこの苦しさが伝わらなくて悔しくて悲しくて何度も心が折れそうになったけど、自分は間違ってなかった。自分を信じて上げてよかったと夜通し涙が止まりませんでした。

後日、家族には正式に告知されますが、
旦那さんに当時の事を聞くと
100万人に数名というとても珍しい病気と聞いて、ドラマの中でよく見る光景に全く現実味を感じなかったと

それでも、長期入院中、
自分の中のいろんな不安に蓋をして
私の前では明るく冗談を言って何があっても大丈夫!と言ってくれた旦那さん。

心配し支えてくれた子供達に感謝しています
(当時中2だった息子は私が入院中に声変わりしていてショックでした笑)

Q4. セカンドオピニオンは受けましたか?

A.

受けました。
私の病気はアドレナリンなどのホルモンが腫瘍により過剰に分泌され爆発的な高血圧になり、身体中に症状が出る為に、頭痛は脳外科、動悸は循環器内科、視野異常は眼科、動悸・多汗は若年性更年期障害を疑い産婦人科。苦しくて藁をも掴む思いで、約3年間で10件程のセカンドオピニオンを繰り返し、症状を懸命に訴えましたが全て原因不明と診断。
理解してもらえない悔しさは今でも忘れません。

Q5. 治療方法と治療経過を教えてください。

A.

私の病気は手術が第一手段ですか、腫瘍自体に触れると瞬時にアドレナリンやノルアドレナリンを噴き出し、術中に高血圧発作が起き、危険な状態になるので、術前コントロールが不可欠でした。徐々に降圧剤を増やしていき、時間をかけて血管を広げ、血圧を下げ血管を広げていきます。(術前コントロールをしていない時の手術は死亡例もあるそうです)
ガイドラインに沿っての投薬でしたが、腫瘍から出るノルアドレナリンが強烈過ぎて全く血圧が下がらず、用量MAX投薬されても200越えの高血圧が手術直前まで出ていました。

Q6. 実際に治療が始まって副作用はありましたか。

A.

ありました。

降圧剤を飲んでいたのですが、
薬の効果と腫瘍の威力の力の張り合いが身体の中で勃発していて、80〜220と血圧変動のジェットコースター。

起立性低血圧で倒れそうになったり、高血圧でめまいや吐き気がしたりしていたので、毎食梅干しなどが特別対応食として追加され塩分を多く摂取したり、ポカリをたくさん飲んで調整していました。

立ち上がる時はゆっくり。

高血圧発作を逃さぬよう、一台血圧計を借りて腕に巻き、発作が来たらいつでも測れる状態を作り、自分で記録して主治医の回診やナースに伝えていました。

Q7. 妊娠中に治療は行いましたか。

A.

行いました。
血小板が下がらないように、怪我をしないように、貧血にならないように心がけました。

私は、褐色細胞腫とは別に妊娠中は【特発性血小板減少性紫斑病】という病気に罹りました。

胎児が自分に宿る事で、自分の中の免疫機能が誤作動を起こし、
免疫機能が、血を止める働きをする血小板を攻撃して壊してしまう自己免疫疾患です。

第一子の妊娠後期、9ヶ月の時に病気が分かりとてもショックでした。
妊娠中でなければ、ステロイド剤を使う所ですが、妊娠中で使用できず
毎回採血し、減り続ける血小板と睨めっこしながらギリギリの数値でなんとか無事に2人とも出産する事が出来ました。

Q8. 治療は精神的にも大変だと思いますが、乗り越えるために行っている事、また行ったことがあれば教えてください。

A.

どんなに理解されなくても【伝える事を諦めない】という事です。

自分の身体の中で起こっている事は
自分しか感じる事は出来ないし、それを伝えるのも自分しか出来ない。

ただ苦しいというだけではなく
具体的にどう苦しくて、相手にどうして欲しいのか、伝える側にも工夫が必要。

自分の病気は特に、医師や看護師も臨床経験がない疾患だったので、医療従事者に対しても、ただ治療してほしいという受け身の気持ちではなく、自分を実験台や研修材料にしてもいいから、この病気の不思議な症状を知ってもらいたい。
自分の治療に携わる事で、同じような患者さんが来たら、見つけてあげて救って欲しい!と願いながら治療をしていました。

手術が終わり、病棟にご挨拶に行った際
師長さんから『看護師達に良い経験をさせていただきありがとうございます』と言っていただけて、自分の想いは伝わっていたんだなと感じました。

Q9. 今後の治療について教えてください。

A.

私の病気【褐色細胞腫】は腫瘍を摘出後、病理に出しても悪性か良性かの判断がつきません。
摘出後30年を経て同じ細胞が再発した事例もあり2017年WHOより全ての褐色細胞腫は潜在的に転移の可能性がある悪性腫瘍と定義され、診断された患者は一生涯の経過観察をします。
半年に一度のMRIと血液検査。

再発が見つかれば、その部位に合った治療をします。
ただ、希少ガンなので治療法は限られています。

Q10. SNSで公開された理由を教えてください。

A.

世界的に見ても希少疾患である褐色細胞腫。
患者数が少ないこの病気はほとんどの医師が臨床経験がありません。
ネットには情報や闘病記は他の病気に比べて極端に少なく、突然病名を知らされた患者さんは主治医からも充分な情報をもらう事が出来ない場合があり
一つでも多くの情報を求めます。

自分の闘病が自分と同じ病気の方に届くように。
病室からSNSを初めて、
自分を一つの事例として記録し#褐色細胞腫とハッシュタグを付けて残しました。

4年前あの日、誰かに届け!と思いながら蒔いた種(ハッシュタグ)は時間を超えて、ちゃんと届き、数年経った今も告知された患者さんやご家族からDMをいただきます。

より多くの情報発信と、
相談サポート治療応援、専門医の紹介をする為、2年前から褐色細胞腫専用アカウントも作成しました。
褐色細胞腫アカウントの名前は
【幸せのダブルクローバー】

この病気と闘う全て人へ
幸せが届きますよう、との願いと世の中に向けて病気の認知を高めたいという想いを込めてSNSを公開しています。

Q11. 闘病中への仲間へメッセージをおねがいします。

A.

私は自分が闘病した経験から、
同じ病気の人を救いたい!と思いSNSで患者会を初めましたが、
どんな病の方にもお伝えしたいのが
【you're not alone あなたはひとりじゃない】という事。

あなたがもし、思いもよらぬ告知をされ、目の前が真っ暗にしか見えなくなってしまっても、恐怖に飲み込まれないで欲しい。

【病気が見つかって治療ができる】という奇跡をしっかりと感じてください。

あなたの痛みはあなたしか分からない。

闘病や治療は常に孤独との戦いですが、それを理解し、寄り添おうとしてくれる人の存在を心を閉ざす、どうか拒絶せずに近くに感じて欲しいと切に願います。

その人達が自分が前を向く突破口をくれると私は感じています。